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仕事は何をしてこられましたか? 出身地はどちらですか?

仕事は何をしてこられましたか? 出身地はどちらですか?

患者さんと話をするきっかけとして,われわれの目の前にいるのは,たまたま,病気を抱えた存在としての患者さんであり,病と障害を抱えているのが前提となっているが,本来の人物としては,実は,普通の職業人であり,家庭人である。リタイアしていれば,長い人生や家庭の歴史を背負った老人であったりする。われわれは,つい,病者としての患者さんのみを相手にしてしまうが,それは,このほんの数カ月前には,考えられなかった姿であることを,理解する必要がある。

一緒に考えましょう

みなさんは,誰かに相談をした際に「一緒に考えましょう」と言われたら,どのように感じるだろうか。「一緒に考えましょう」という言葉は,医療現場でなくても,われわれが普段,ふつうに使っている言葉である。そんな何でもない言葉を今回のテーマに選んだ理由は,筆者が何気なく使っていたにもかかわらず,患者の家族より「一緒に考えましょうと言ってもらったことで勇気づけられていました」と言われたからだ。そこで,なぜ自分はこの言葉を使ったのか,なぜこの言葉に力があったのか,改めて考えてみることにした。

どうしてその仕事を選ばれたのですか?

「何のお仕事をされていますか(されていましたか)?」。職業は社会的側面の情報として,入院時に問診の中で聴取することが多い。その人の社会的側面をアセスメントし,どのようなサポートが必要かを考える際に助けとなる情報である。また,筆者は,その人の仕事に対する思いを感じた際に,「どうしてその仕事を選ばれたのですか?」という質問をすることがある。その人の考え方や価値観,どのような人生を歩んでこられたのかを理解できればと考えるからである。

昨日は何を食べましたか?

「食欲がありません」「少ししか食べられません」「いろいろ工夫しているのに食べてくれません」
食に関する患者・家族の悩みは尽きない。そのような訴えを聞いた時には,じゃあステロイドを使ってみようかと考えたくなるが,筆者はその前にもう一歩踏み込んで聞くように心がけている。「昨日は何を食べましたか?」その問いかけで,「食べること=食事」を通してその人の生活がみえてくる。

あなたのことが知りたいんです!

「あなたのことが知りたいんです!」。“壁ドン”して,愛の告白をする時のようなせりふであるが,この言葉は使い方次第で,患者さんや家族との距離をぐっと縮めることのできる「魔法の言葉」である。

困っていることはないですか?

筆者は現在,平成26年度の診療報酬改訂にて新設された「がん患者指導料3」の算定のため外来化学療法室に週2回常駐しています。この算定要件に「指導を行った薬剤師が,抗悪性腫瘍剤による副作用の評価を行う」という一文があるので,筆者は主に患者さんのがん化学療法の副作用の出現状況や疼痛などを確認することにしています。
この時,自作フォーマットを利用し,聞き逃しのないようにしています。フォーマットには,嘔気・倦怠感・排便状況・食欲・味覚障害・口内炎・しびれ・疼痛などの項目があります。そして,このフォーマットの最後に入っている言葉が「困っていること」です。これは,算定とはまったく関係がありませんが,必ず聞くようにしています。「今,困っていることは,ないですか?」

そうなるといいですね

残された時間が限られた患者さんとそのご家族は,患者さん自身のおかれている状況が厳しいことを理解しつつも,実現がきわめて難しいと考えられる「好ましい未来」を期待する言葉を発することがある。そのような場面で,極端にいうならば「偽り」ともいえる,ほとんど期待できないことに期待をもつ患者さん・ご家族の発言を訂正しないことに抵抗を感じる医療者もいる。その結果,医療者は,患者さん・ご家族が病状を理解していないと感じ,認識を正そうとさらなる病状説明を行うことがある。

わがままを教えてください

われわれは患者さんと援助関係を築く時に,「我慢せずに何でも言ってくださいね」という言葉をよく口にする。本当に我慢せずに何でも言える環境をわれわれは整えているだろうか。そう言われても,我慢してしまうのが患者さんではないだろうか。もっとその人本来のニーズやあきらめているかもしれない希望を引き出したい。そういう思いから,使い始めた言葉が,「わがままを教えてください」である。この言葉を伝えた時の患者さんの表情がとても興味深い。

あなたに金メダルをあげたい

この言葉は患者と家族の頑張りを強く承認し,経過を肯定的に捉えてもらいたい時に使う言葉である。多くの患者と家族はがん治療,あるいはその状況への対処のために必死で頑張っている。しかし,どんなに頑張っても必ずしも期待する結果にならないばかりか,誰からもほめられたり,認めてもらえないことが多い。誰かがその頑張りを強く認め,言葉にしてあげる必要がある。また,患者と家族は今までの経過を否定的に捉えがちである。「金メダル」は,患者と家族の頑張りを認め,経過を肯定的に捉えてもらうための言葉である。

おはようございます

「おはようございます」はありきたりの言葉だけれど,この言葉は奥深い。「あなたは今朝,挨拶をしましたか?」「挨拶の声の大きさはいかがでしたか?」「挨拶の際のあなたの表情はいかがでしたか?」「あなたの挨拶に対する周囲の反応はいかがでしたか?」
朝の挨拶は,人間関係を円滑にする力がある。

ご家族だからこそですね

「家族なのに何もしてあげられない」そんな言葉を耳にしたことはないだろうか? 大切な人が病気になった時,家族には「何かしてあげたい」という思いが募る。しかし治らないと言われた時,残された時間がわずかになった時…その思いとはうらはらに,そばに付き添い,励まし,支えていても,抗えない病状の進行にともない日々弱っていく患者さんの姿を目の当たりにする。

聞こえていますよ

これは,死前数日以内の患者さんのご家族に対する言葉です。ご家族を安心させる目的と,患者さんの安らぎのために,使っています。
意識消失や状態悪化となった患者さんに対して,ご家族が動揺している場合に使います。

応援しています

「もう治療法はなくなりました」
「今の治療は効かなくなりました。もう,緩和しかありません」
自己決定が医療の基本であり,自己決定のためには,たとえ冷たいと思われても患者に真実を告げることが当たり前の時代となってしまいました。
しかし,この言葉は人生で一番つらい言葉なのです。

普通の亡くなり方に近づけるためです

あらゆる苦痛緩和の方法をもってしても,苦痛が緩和されないがん患者は確かにいる。治療困難な苦痛に鎮静が許容されるには,その目的が苦痛緩和を目的としていること,多職種のチーム内であらゆるケア,治療がなされていることを確認し合うこと(相応性),また鎮静のほかに治療の方法がないこと,また患者,家族の意思の確認(自立性)が前提となる。特に,患者,家族に鎮静の益(ベネフィット)と害(リスク)を医療者は説明したうえで実行する。当然リスクはやや強調されて説明される。患者は意識がなくなれば,そのまま意識の回復がないまま死に至るであろうこと,また鎮静を開始した直後に,呼吸,循環状態が急速に悪化し,死に至ることもあることが説明される。

気にかけています。うまくいってほしいなぁ,と私も心から願っています

この2つの言葉を言ったところでたちまち信頼を獲得できるわけではない,という点で「ミラクル度」は高くはない。しかしながら,緩和ケア医師として筆者の基本的姿勢を端的に表現できる言葉としてこれらの言葉を選択した。
「気にかけています」は「私はあなたの役に立ちたい。いろいろうまくいかない状況だろうけれど,私の知識,チームで相談,読む,調べる,すべてを総動員して全力で考えるから (I promise that we will do our very best)」という感じで使う。

感謝の言葉を伝えてみましょうか

看取りが近づいてきている際に,ご家族が患者さんの様子をじっと見つめ,張り詰めた空気が病室に流れていることがある。患者さんの呼吸に合わせて「頑張って!」「呼吸しないとダメじゃない」と身体を揺さぶっている場面に何度か遭遇したことがある。1分,1秒でも長生きして欲しい。そう思っているご家族の気持ちは痛いほど分かる。しかし,お別れの時はすぐそこに来ている。そういった時に「今度は感謝の言葉も伝えてみましょうか」と伝えてみる。最期に,感謝の言葉を伝えられなかったという後悔を残さないように会話を促すのである。時には,廊下に響きわたるほどの大声で「頑張って〜,死なないで〜」と叫ばれているご家族もいる。

お祈りしますね

人は,本当に困った時,つらい時,絶望した時,自分の力ではどうしようもない時,自然に,そして必死に祈る。筆者はクリスチャンで,自分の信仰する創造主に向かって祈るが,特定の信仰をもたない人でも,祈りを捧げる時があるのではないかと思う。特に,緩和ケアの現場で出会う患者さん,ご家族は,自分や大切な人の存在が危うくなるような,祈らずにはおれない状況に置かれることは多いのではないかと思う。そして,時に他の人の祈りが必要となり,助けとなる。ただ実際に医療者が声に出して患者さんやご家族のために祈るのはかなり難しいし,日本の医療現場にはあまりそぐわない感じもする。

穏やかなお顔をされていますね

大切な人が亡くなられた時,その時の表情はご家族にとってかけがえのないものとして刻まれる。当然のことながら人それぞれに表情が違う。そして,看取りの場面も人それぞれ違う。ずっと傍にいて時を共に過ごした人もいれば,臨終の場に居合わせずに動揺した状態でその場に駆けつけるご家族もいる。
ご家族として,患者さんが苦しまず,穏やかに最期を迎えて欲しいと願うのは当然の気持ちではないだろうか。しかし,時には,呼吸困難や疼痛が急激に増強して苦しんでいる姿を目の前にし,ご家族もまた大きな苦痛を伴って最期を看取ることもある。そのような時でも臨終から少し時間が経つと,患者さんの表情が穏やかになられることが多い。「穏やかなお顔されていますね」は,今までの闘病生活を労い,すべての苦痛から解放され安らかに旅立って欲しいという願いを込めた言葉であり,その思いを専門職者である医療者がご家族に伝えることによってご家族も穏やかに旅立つことができたと実感できる言葉でもある。

スプーン1杯を目標にしませんか!

魔法の言葉は,他人にとって気づきもせず,対象となる人にインスピレーションを与える。一方で,この言葉が魔法の言葉として機械的に,“よし,今だ!”と吐き出しても,いつも役に立つとは限らない。相手が求めている心の施錠が開こうとした時の,タイミング,声のトーン,スピードなどが合致し,はじめて魔法の言葉となる。
「スプーン1杯を目標にしませんか!」に込めた筆者の意図は,近い目標をクリアすることで自信と達成感を抱くことができ,次へのチャレンジにつながる,というものである。

最後の瞬間は苦しくなかった

がん・非がんにかかわらず,在宅療養開始時に患者家族は遠からず訪れる死のイメージを明確には描けない,または描いていない場合が多い。これには核家族化,病院死が一般化したことなどのために親族の死を目の当たりにしたことがない,看病の経験がないことが背景にある。仮に,イメージをもっていたとしても一昔前に病院で見た(もしかすると現在の病院でも目にする)かもしれないような,テレビドラマで見るような,管だらけの状態を考えている場合が多く,死ぬ時はひどい痛みを伴う,ひどい苦しみを味わわなければならないと信じている人は意外に多いのが現実だ。また,家族・親族らが抱く最期の瞬間に「呼吸が止まる」ということのイメージは,急性窒息のように「まだ自力で呼吸が可能な状態であるにもかかわらず,何らかの原因によって強制的に呼吸ができなくなる状態」となってしまうものと考えていることが少なくない。