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私は毎日あらゆる面でますます良くなっている
All is well. Day by day, in every way, I’m getting better and better

私は毎日あらゆる面でますます良くなっている
All is well. Day by day, in every way, I’m getting better and better

家田秀明
みずほ在宅支援クリニック


朝と夜に必ず唱えるが,心が揺らぐ時はどんな時でも内なる自分に届かせている。

人間は良くも悪くも想像する。想像は人間が獲得した素晴らしい能力であり,時に創造することができる。せわしく緊張が絶えない現代社会を生きていくうえで,われわれは過去を振り返り未来を
憂いながら,過去と未来に翻弄され,今を失いつつある。夢や希望を託した未来は必ずしもすべてが思うようにはならない。だが現実に良くも悪くも想像どおりの自分になっていく人が確かにいる。

 

母はがんで亡くなったけれど, がんには勝ったのだと思います

吉田 健史
近畿大学医学部附属病院がんセンター 緩和ケアセンター・腫瘍内科


医学生や研修医から「腫瘍内科や緩和ケア科では患者が亡くなられることが多いですが,そのような環境のなかで何をモチベーションに働かれているのですか?」と問われることがある。また,がん治療や緩和ケアに従事する医療者であれば,一度は実際にこのような環境のなかでモチベーションを見失いそうになった経験があるのではないだろうか。

希望はいいものだ

森田 達也
聖隷三方原病院 緩和支持治療科


「あんなに説明しているのに,どうして分からないのだろう」「残された時間がもう限られているのに,こんなことをしていていいのかしら」……。治療のかいなく病状が進行してきた時,医療者のなかでは,「理解が悪い」「否認かな」という言葉が飛び交うようになる。そんな僕たちの頭の中では,「患者さん(ご家族)に今の状態をちゃんと分かってもらわなきゃ」という思いでいっぱいになっている。

「早く死にたい」に抗う「生きてい て良かった」と思えるケアをしよう

宮森 正
川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター


Fair is foul, and foul is fair:きれいは穢ない,穢ないはきれい。
魔女の言葉 「マクベス」より シェイクスピア
(福田恆存 訳)

「死にたい」は「生きたい」か。
「死にたいほど痛い 死ぬほどつらい 死んだほ
うがましだ 死んだように生きている
死ぬほど気持ちよい 死ぬほど嫌いだ 死ぬほ
ど好きだ 生か死かそれが問題だ」等々。

絶望の淵から発せられる言葉は,逆説に満ち
ている。

人が生きるのを支える

森 雅紀
聖隷三方原病院 緩和ケアチーム


私たちは生きていくなかで,時に道に迷う。遠くまで見通せていたはずの道にいつの間にか霧がかかることも少なくない。もちろん立ち往生が楽しいことも往々にしてある。しかし,人生の転機(とその時々の自分が思う状況)でさまよい始め,決断の時期が迫っても左右の別すら分からなくなれば,文字どおり五里霧中である。

終わらない外来はない

坂下美彦
千葉県がんセンター 緩和医療科


朝,外来受診患者の電子カルテにざっと目を通す。今日の緩和ケア外来の患者は16人。午前の予約枠一杯に入っている。うち3人は他科から紹介の新患である。
新患のAさんは40歳代男性の膵がんだ。1週間前の消化器内科の初診で,病名と肝転移腹水貯留が告げられ,同時にベストサポーティブケア(BSC)の方針となった。小さいお子さんが3人いる。看護記録によると,本人と奥様共に悲嘆と不安がとても強そうだ。

人生は苦しい。でも,その苦しみには必ず終わりがある

関根龍一
亀田総合病院疼痛・緩和ケア科


この言葉は,仏教に関連の深い用語2つ「人生は苦」と「諸行無常(万物は変化し,いつか終わりがくる)」の組み合わせからなる。

まず,前半の「人生は苦しみ」から説明する。

僕は安心して居眠りができるよ

山崎敦子,大嶋健三郎
あそかビハーラ病院


病院管理者を務める医師が,多職種カンファレンスでプレゼンテーションしていた他職種(初めて緩和ケア病棟に勤務することとなった入職したての看護師)にかけた言葉である。表題は前半を省略しており,実際は「そんな風にプレゼンテーションしてくれたら,カンファレンスの間,僕は安心して居眠りができるよ」であった。

私たちに任せると長生きするわよ。それでも大丈夫?

平野和恵
がん研究会有明病院 緩和ケアセンター医療連携部


2013年4月,姑(当時89歳)が,デイサービスで呼吸停止となり,ちょうど滞在先にいた嘱託医に蘇生され,一命を救われた。その後病院に搬送され,「蘇生後低酸素性脳症」の診断を受けた。昏睡状態が数日間続いた後,覚醒はしたものの,意思疎通は困難で,身体状態も四肢麻痺に近く,いわゆる「寝たきり要介護状態」だった。主治医からは,今後の回復は困難で,予後1カ月程度と説明を受けた。

声かけはいる・いらない?

髙澤洋子
淀川キリスト教病院 地域医療連携センター


へこんでいる時,道に迷っている時,もう嫌な感じになった時,声をかけるとしたら,自分から同僚の場合には,まずは観察。次に「いつもと表情が違うけど,何かあったのかな? (私が)気になったから」と声をかける。声かけしないこともある。

十分に頑張っているよ(頑張ったよ)

石川千夏
地方独立行政法人 市立秋田総合病院


自分から同僚へ, 同僚から同僚へ。

日々臨床で働いていると,苦しいこと,困難に感じることが少なくないように思う。緩和医療のみならず,医療の現場では人の生き死にに関わることが多い。医療の現場はまさしく人生の縮図だと思う。そのため,患者・家族のやり場のない怒りや悲しみといった感情をぶつけられることもある。

ええんちゃうかな

白山宏人
拓海会大阪北ホームケアクリニック


支援者であるわれわれは日々さまざまな苦しみをもつ患者・家族と関わっている。われわれはその時その時を懸命に関わり,患者や家族に対して苦しみの緩和や穏やかな時間を重ねていけるように努めている。ただ現場においては,うまく関われるケースばかりとは限らない。

これが今の私たちの精一杯です

澤井美穂
公立学校共済組合東海中央病院緩和ケア病棟


現在,私は緩和ケア病棟で看護師長として勤務している。患者と家族ができるだけ穏やかな時間を過ごすことができるように,少しでも「ここの病院に来て良かった」と思っていただけるようにと思い仕事をしている。

今のままでいいのでは……

安部睦美
松江市立病院 緩和ケア・ペインクリニック科


「先生,私何もできなくて……何かできることはありませんか?」「まだ入院して間もないので関係性も築けてないのでどうしていいか?」「あまり時間がないし,いろいろなところがむくんでしんどそうで……」「眠らせてあげたほうがいいのかとも思う」。

終末期の患者と出会う時,その時期が最期の時間までが短ければ短いほど,このような悩みが常に頭のなかを右往左往しているのではないか?

私はあなたの応援団です

有賀悦子
帝京大学医学部 緩和医療学講座


何か困っているようにも感じられる,でも,そうなのか分からないし,そうであったとしても原因を知っているわけではない……。といいながらも,見て見ぬふりをするのではなく,何かひと言,言葉をかけることができたなら……。
そのような時に,同僚,後輩でも,患者や家族にもかけることができる言葉である。

1人でも参加(賛同)してくれる人がいれば成功

蘆野吉和
医療法人北斗 地域包括ケア推進センター


医療の現場でさまざまな挑戦をしてきた私自身に対する魔法の言葉である。

何事においても,新しいことに取り組む時,特に先駆者としての立場を意識して取り組みを始める時には賛同者が必要である。賛同者がいない時は「独断」と言われることを覚悟しなければならないが,賛同者が多ければ多いほど,物事は進めやすい。

コンサルテーションは梁山泊だよ

小川朝生
国立がん研究センター東病院 精神腫瘍科


緩和ケアチームやリエゾンチームの提供するコンサルテーション活動は黒子である。
緩和ケアチームは,患者に対して,専門的な技術を使って,症状緩和を提供するのも役割であるが,施設内の担当病棟スタッフのプライマリ・レベルを上げる教育的支援も役割の1つである。コンサルテーションというと,症状などへの対応に難渋しているクライアントから問題を引き継ぐと,その専門性を駆使して自ら解決するイメージをもたれがちだし,チームとしても自分たちで手を動かしてするので,達成感も大きい。

見ているよ─眼差しのもつ力

枷場美穂
静岡県立静岡がんセンター 緩和医療科(臨床心理士)


「見ているよ」─その言葉に救われたことがいく度かある。仕事上でのっぴきならない状況に置かれている時に,自身よりも臨床経験を積んでいる他職種にかけられた声である。
予想外の事態が展開していたり,予測される悪い状況が複数重なったり,どうにもこうにもしばらくは持ちこたえねばならない事態に陥っている時というのは,否が応でも事態を抱えざるをえない自分の状況を「ひとり」でいるように感じ,孤独であったりもする。

この発表,面白かった

斎藤真理
横浜市立市民病院緩和ケア内科


まったく面識のない緩和ケアの大先輩から,緩和ケアに取り組み始め孤軍奮闘している大学病院の医師(筆者本人)に向けられた言葉である。
研究発表を口演したあとの質疑応答の時間,トップバッターで会場の真ん中付近,立ってコメントしてくださった第一声(それは2000年11月,広島で開かれた「日本死の臨床研究会」年次大会における私のプレゼンテーションだった。タイトルは,「『最後の入浴日』の意味すること」)。

関わりを育てるためのチームの協力

沼野尚美
宝塚市立病院 緩和ケア病棟


チャプレン(宗教的援助者)として,カウンセラーとして,筆者は緩和ケア病棟で長年勤務してきた。心のケア担当者として,患者や家族との関わりを依頼されて関わることが多い。しかし,残念なことに依頼されて関わりをスタートしても,途中で関わりをストップさせられることがある。