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でも,気づかないところで,誰かがきっと見てる

でも,気づかないところで,誰かがきっと見てる

広瀬寛子
戸田中央総合病院 カウンセリング室


自分から自分への言葉。

私たちの仕事は,見返りを期待して行われるものではない。それでも感謝してもらえれば嬉しいし,認めてもらえると自信になる。それは自然な感情だと思う。だから,無性に空しくなることがある。誰にも気づかれずに頑張って働いている時。頑張ってもうまくいかない時。頑張っているのに誰も認めてくれない時。自分が行っていることに自信が持てない時……。

「きっと,○○さんは,お空で○○を思う存分,満喫しているよ」って私たちに微笑んでいると思う

林ゑり子
藤沢湘南病院看護部


スタッフ(同僚)から,患者の看取りに関わり喪失体験が大きいスタッフ(特に看護師)へ。

この言葉は,逝かれた患者との和解や理解を意図している。スタッフのグリーフワークを促進する言葉の意図が示されている。生前の患者との関わりのなかで,患者が,怒り,せん妄,時に攻撃的な発言をされ,関わったスタッフが真摯に受け止めたり,興奮が強い患者にストレートな感情をぶつけられたり,病棟のルールに納得いかないとスタッフを困らせていた患者の看取りを経験したスタッフに対するねぎらいの言葉の意味が含まれる。

勝ち戦(いくさ) 

柏木秀行
飯塚病院 緩和ケア科


緩和ケアの実践の場に身をおくと,「もっと早く紹介してよ」「あの科の部長,まったく緩和ケアのこと分かってない」「うちの病院じゃ,いいケアをするなんて夢のまた夢だよ」といった緩和ケア側の嘆きのような言葉が聞かれることがある。さまざまな部門,職種,そして主治医たちと協働することが大切な緩和ケアスタッフにとって,時として対立構造に陥ることや,「分かってもらえない……」と陰性感情や不全感すら抱えてしまう。

そういうお役目を引き受けたんだね

栗原幸江
がん・感染症センター都立駒込病院 緩和ケア科


同僚にも後輩にも自分にも。

病気の進行や治療など,思うようにならないことばかりのただなかにいる患者さんのフラストレーションの(小噴火も含めた)爆発の場に遭遇することがある。
医療者にはニコニコと愛想のよい患者さんが配偶者には非常に辛辣となり,配偶者の一挙手一投足に文句を言ったり,きつい言葉をぶつけたりするような場面だ。

あなただからできたケアなのよ

向井美千代
北播磨総合医療センター緩和ケア病棟


私たちは,毎日多くの患者や家族と出会い,ケアを提供している。関わるなかで悩むこともあり,患者が退院された後も気になっていることがある。しかし,よほど意図的に努力をしていないかぎり,1 人ひとりの患者との関わりをていねいに振り返ることはできず,目の前にいる患者のケアに追われるように日々を過ごす。

あなたがいる(いた)

小杉孝子
近畿中央胸部疾患センター心療内科/支持・緩和療法チーム(心理療法士)


「私は○○さんに何ができたんだろう」「あの時,なんて返したらよかったんだろう」「何もしてあげられなかった」……。
日々の緩和医療の臨床のなかで,時に医療スタッフからこうした言葉を聴くことがある。痛みには痛み止めを,咳には咳止めを……。困った時の看護師さん……。

謝ればいいね!

柏谷優子
辻仲病院柏の葉緩和ケア病棟


対人援助職は概して真面目で,役に立ちたいし,良いことをしたい,そして当たり前なのかもしれないが,失敗? はしたくないと考えている。そうして相手を思いやる姿勢なのか,皆まで言うな! とばかりに相手を慮るなどして話を進め,患者や家族を傷つけないよう努めている(こともある……と思う)。

人間は考える葦である

阿部泰之
旭川医科大学病院 緩和ケア診療部


ここ最近では珍しく時間に余裕があったので,週末に買ってきた東京土産のラスクを食べながら談笑していると,研修医がこんな悩みをしゃべりだした。
「緩和ケアまわらせてもらっていて,とても勉強になるんですけど,たとえば,患者への向き合い方とか,本当に。ただ,ちょっとよく分からなくなっているところもあって。何というか,その時によって全然違うというか。…」

正解はないよ(答えは本人がもっている)

金田美佐緒
岡山済生会総合病院がん相談支援センター


一生懸命に患者・家族の訴えに耳を傾け,答えを返してあげようと頑張っている。なんとか役に立ちたいと思うあまり,社会資源を小間物屋のように並べて情報提供したり,どこかにつなごうかと躍起になっている場面など,クライアントの主訴に振り回されながら,なんとか答えを見つけてあげようと焦っている自分自身も含めて,同僚や後輩に伝えたい。

合ってると思うよ

白坂昌子
訪問看護ステーションアールドビーブル


緩和ケアの責任の重みに耐えきれない,と感じたことはないだろうか? 「緩和ケアとは,生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して,痛みやその他の身体的問題,心理社会的問題,スピリチュアルな問題を早期に発見し,的確なアセスメント対処を行うことによって,苦しみを予防し,和らげることで,クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである」と,初めてこの文章を読んだ時に,「こんなお坊さんプラス医療処置もすることが万全にできるなんて私には無理だな~」と,感じた。

磨くとは無数に傷をつけること

青木和惠
静岡県立大学 看護学部


東京都立の看護学校の2年生だった夏休み,私は実習病院であった都立墨東病院で看護学生アルバイトに参加していた。墨東病院のある東京都墨田区錦糸町は,今でこそ「下町の雰囲気を残す歴史の街」などと紹介されるが,当時はいわゆる任侠の町で,墨東病院の救急外来には1日に100人もの刃物沙汰による外傷者が運びこまれるとの情報が,学生の間ではまことしやかに流れていた。

試行錯誤の繰り返し

森井淳子
社会福祉法人京都社会事業財団 京都桂病院


がん患者が抱える苦痛は,「単に痛みや悪心,倦怠感といった身体的な苦痛だけでなく,心理社会的な苦痛,スピリチュアルな苦痛が複雑に絡み合った全人的な苦痛である」という,シシリー・ソンダース(Cicely Saunders)が述べた概念については,緩和ケアに携わっている方々であれば百も承知のことであろう。

お見送りは,私たちができる最後の看護

林ゑり子
藤沢湘南病院看護部


先輩看護師から後輩看護師へ,時に疲れている自分に。

逝去された患者の見送りは,その患者にできる最後の看護実践である。上野宗則は,「エンゼルケアとは,生から死への移行に立ち会う専門職という立場で患者の死の直後からその患者や家族に対してのできる限りの援助の在り方,そして,その関わりによってそこに立ち会う患者,家族はもちろんのこと,ケアに携わる看護師自身にとってもなんらかの意味をもたらしてくれる行為」と述べている。

人生に無駄なし,2度なし/転んでもつまずいてもタダでは起きるな!

小野芳子
綜合病院山口赤十字病院 医療社会事業部


緩和ケアが必要な患者さんやそのご家族と関わっていくなかでは,うれしいこともたくさんあるが,つらいことや悲しい思いをすることも多くある。
例えば,つらい症状を十分にとれないままに旅立たれた患者さんに対しては,もっと違った対処方法があったのではないか,自分が担当でなかったらもっと違った最期を迎えられたかもしれないと悔やんだり,臨終の時にご家族にかけた言葉は本当に良かったのだろうかと悩んだり……など,関わりに「正解」がなくてつらくなることも多い。

自分の役割は使命である

末永和之
すえなが内科在宅診療所


がん末期の患者から「先生,あとどれくらい生きられるのでしょうか」と問われることは,多くの場面で遭遇することがある。その時,どのような言い方で,その患者と向き合えばよいか悩むことが多くあると思う。皆さんならどのように答えるだろうか。

あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます

今井堅吾
聖隷三方原病院ホスピス科


症状緩和やケアがうまくいかず「もうこの人のつらさをケアすることはできない」とあきらめたり,患者・家族との関係が築けず「いつも怒りをぶつけられ,関わりを続けることは限界だ」と感じるようなことが,時にあるのではないだろうか。そんな時に筆者が自分自身に言い聞かせている言葉である。そしてまた,自分自身が苦しみの中に置かれた時に,この言葉が心に浮かんでくると,(ただちに,いつでもというわけにはいかないが)その苦しみに意味を見出すことができる。

ありがと~ね

大谷弘行
九州がんセンター 緩和治療科


同僚へ,後輩へ,自分へ。同僚や自分,後輩などが「へこんでいる時」「道をさまよっている時」「もう嫌な感じになっちゃった時」など,そういう時に自分の心に浮かんでくる言葉である。

今この時が「一期一会」

上田夕貴乃
*ガラシア病院 緩和ケア病棟


「つらさを和らげる」という緩和ケアの役割は,自分らしさを保つこと,その人らしい生活スタイルを確保することである。
「旅立つ時は酒をくみ交わして礼をしたい」「緩和ケアはタバコもあかんのか」「お姉さんたちの思いも分かるの,だけど私たち夫婦は元気な頃から死については話し合ってきたのよね」と,関わる人たちから多種多様な思いを聴く。

意味のないことなど起こりはしない

佐藤雅彦
浄心寺住職/大正大学非常勤講師


筆者は伝統的な日本の仏教の僧侶を本業としている。しかしここでは宗派や宗教の違いを越えた幅広い宗教家としての「心のケア・ボランティア」での経験を踏まえ,スピリチュアルなニーズに応えるべく,読者に伝えてみたい。

すべてのことに意味がある

矢野順子
医療法人社団爽秋会 ふくしま在宅緩和ケアクリニック


この言葉は決して目新しいものではなく,よく耳にする言葉かもしれない。しかし筆者にとっては,さまざまな場面で特別な意味をもってきた言葉である。
緩和ケアの現場に携わっていると,患者や家族から「ん? あれ?」と自分の理解の範囲を超えた言葉や行動がみられる時がある。また,「これでよかったの?」と,自分自身が行ったケアに疑問や不全感が残ることもある。そのままの状態が続くと,いつまでもそのもやもやした気持ちにとらわれるかもしれない。そうすると,仕事に身が入らない,同じような場面に遭遇した時に患者や家族から足が遠のくなんてことにもなりかねない。そんな,ケアに行き詰まった時,気持ちが落ち込んで前に進めない時に自分自身にかけたい言葉である。